年度 |
歯科医師試験事項 |
備考 |
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1874(明治7) |
医制76条を京都、東京、大阪の3府に布達した 8/18 |
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(27条に、医師は医学卒業の証書及び |
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内科、外科、眼科,産科等専門の |
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科目に2箇年以上実験の証書( |
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従来所就の院長或いは医師より |
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出すものとす)を所持するものを |
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検し、免状を与えて開業を許す |
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当分従来開業の医師は学術 |
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の試験を要せず ) |
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1875(明治8) |
この通達に基き、文部省は、京都、東京、大阪の |
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3府に対して試験についての布達をした 2/10 |
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(自今新タニ医術開業ヲ請ウモノハ左ノ試業ヲ経テ |
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開業免許ヲ受クベシ |
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物理学化学大意、解剖学大意、生t理学大意 |
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病理学大意、薬剤学大意、内外科学大意) |
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試業試験は京都から始った |
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東京の試験は10月に行なわれたが、科目として |
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口中医が加わっていたが、小幡英之助は |
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自分の修得したのは、「歯科」であるとして |
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「歯科」として受験した |
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1876(明治9) |
内務省より府県に通達 1月 |
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入歯歯抜,整骨科は府県扱いとする 11月 |
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1879(明治12) |
医師試験規則 内務省 2/24 |
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( 医科の科目中に、産科、眼科に並んで |
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歯科を挙げる) |
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(試験科目 理学,化学、解剖学、生理学、 |
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病理学、薬物学、 |
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内科学、外科学 或いは |
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専門各科 ) |
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1883(明治16) |
医術開業試験規則 太政官布達 10/23 |
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(このとき科目に「歯科」が加えられた) |
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<試験は前期と後期に分かれたが、前期試験の |
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受験には、1年半以上の修学が必要で,後期 |
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試験には、前期試験合格後1年の修学が必要で |
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あった |
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前期試験科目 |
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歯科解剖及び生理 |
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歯科病理及び冶術 |
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歯科用薬品 |
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歯科用機械 |
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後期試験 |
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実地試験 |
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1884(明治17) |
歯科医術開業試験 東京 本願寺浅草別院 3月 |
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(試験委員 東京 井野春毅) |
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長崎 6月、 東京 9月、仙台 10月 |
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岡山 11月, 「合格率 4/9」 |
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1885(明治18) |
歯科医術開業試験 |
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東京 3月、名古屋 4月、仙台 5月、 |
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(試験委員 東京 高山紀斎 ’85〜97) |
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大阪、岡山 5月、東京、名古屋 9月、 |
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大阪 10月、岡山、長崎、11月 |
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「合格率 17/29」 |
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1886(明治19) |
歯科医術開業試験 |
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東京 3月大阪 金沢 4月 長崎 5月、 |
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(試験委員 東京 伊沢道盛 ’86〜93) |
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東京、名古屋、京都、熊本 9月 |
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「合格率 20/35」 |
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1887(明治20) |
歯科医術開業試験 |
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東京、大阪 4月、 |
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(大阪 試験委員 大田吉三郎) |
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東京、京都、金沢、仙台 11月、 |
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長崎12月 |
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(試験委員 長崎 竹下初三郎 |
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金沢 菊地玄勝 |
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仙台 庄司才之進 ) |
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「合格率 18/39」 |
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1888(明治21) |
歯科医術開業試験 |
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東京、京都、金沢 5月、長崎 6月、、 |
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東京、京都 10月 |
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(試験委員 京都 渡辺晋三 ) |
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「合格率 24/53」 |
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1889(明治22) |
歯科医術開業試験 |
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東京、京都 4月、10月 |
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「合格率 27/115」 |
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1890(明治23) |
歯科医術開業試験 |
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東京 4月、10月、京都 5月、11月 |
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「合格率 29/108」 |
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1891(明治24) |
歯科医術開業試験 |
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東京 4月、10月、京都 5月、11月 |
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「合格率 29/139」 |
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1892(明治25) |
歯科医術開業試験 |
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東京 4月、10月、京都 5月、11月 |
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(試験委員 東京 伊沢信平、益田広岱) |
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「合格率 25/202」 |
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1893(明治26) |
試験 東京 4月、10月、京都 5月、11月 |
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「合格率 38/240」 |
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1894(明治27) |
試験 東京 4月、10月、京都 5月、11月 |
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「合格率 36/308」 |
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1895(明治28) |
試験 東京 4月、10月、京都 5月、11月 |
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「合格率 40/267」 |
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1896(明治29) |
試験 東京 4月、10月、京都 5月、11月 |
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「合格率 44/321」 |
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1897(明治30) |
試験 東京 4月、10月、京都、5月、11月 |
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「合格率 70/346」 |
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1898(明治31) |
試験 東京 4月、10月、京都 5月、大阪 11月 |
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(試験委員 大阪 西村輔三) |
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「合格率 59/344」 |
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1899(明治32) |
試験 東京 4月、10月、大阪 5月、11月 |
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「合格率 49/367」 |
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1900(明治33) |
試験 東京 4月、10月、大阪 5月、11月 |
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「合格率 51/418」 |
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1901(明治34) |
試験 東京 4月、10月、大阪 5月、11月 |
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「合格率 63/464」 |
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1902(明治35) |
試験 東京 4月、10月、大阪 5月、11月 |
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「合格率 77/545」 |
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1903(明治36) |
試験 東京、大坂 「合格率 83/617」 |
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1904(明治37) |
試験 4月に全国地方庁所在地で行うことを決める |
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「合格率 49/531」 |
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1905(明治38) |
試験 「合格率 42/604」 |
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1906(明治39) |
試験 「合格率 39/846」 |
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1907(明治40) |
試験 「合格率 60/1281」 |
歯科医師法公布 |
1908(明治41) |
試験 「合格率 67/1487」 |
歯科医学専門学校発足(2校) |
1909(明治42) |
試験 「合格率 138/1624」 |
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1910(明治43) |
試験 「合格率 134/1969」 |
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1911(明治44) |
試験 「合格率 182/2299」 |
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(スタンダード氏歯冠継続歯という問題が出題されたが |
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それは誤認だったので問題になった) |
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(伊沢新平が異例の説明を行い、を委員を辞任) |
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1912(大正1) |
試験 「合格率 316/2824」 |
歯科医専指定卒業者参入 |
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「歯科医師試験規則に関する意見書」提出 9月 |
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(日本歯科医師会) |
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1913(大正2) |
試験 「合格率 383/3445」 |
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歯科医師試験規則改正 9月 |
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(受験資格の改正 1921年10月から実施) |
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(試験科目 |
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学説 解剖学ー組織学を含む |
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生理学、薬物学、 |
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病理学ー細菌学を含む |
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口腔外科学、 |
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歯科治術学ー歯科矯正学を含む |
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歯科技工学 |
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実地 |
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”欧米諸国における歯科医師試験制度”(奥村鶴吉) |
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(歯科学報 17:9〜10) |
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1916(大正5) |
(試験委員 石原久、一井正典、岡島格、降旗積、 |
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塚原傳次郎、榎本積一、山形朔郎、 |
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佐野専三,入戸野堅二、島峰徹、 |
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本永七三郎、西村好穂、緒方六冶、 |
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河村利次郎 ) |
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1919(大正8) |
歯科医術開業試験本年で中止のところ保留 |
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(1923年まで) |
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1925(大正14) |
歯科医術開業試験 最終試験 12月 |
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1933(昭和8) |
私立医、歯、薬専門学校に対する文部省試験実施 3月 |
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(2年 基礎科目、4年 臨床科目) |
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敗戦 |
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1946(昭和21) |
国民医療法改正により「歯科医師国家試験実施」制定 |
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9月 |
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歯科医師国家試験審議会発足(勅令405) |
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(奥村鶴吉、長尾優、堀内清、大橋正輔 ) |
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歯科医師国家試験委員 |
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(勅令406により |
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「試験観委員の内半数は学長、校長または |
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教授、助教授の内から、半数は歯科医業 |
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に従事し、教職員、役員でない歯科医師 |
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の内から厚生大臣の奏請により内閣で命 |
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ずる」 |
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(試験委員 |
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高橋新次郎、河野庸雄、杉山不二、 |
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大井清、前田早苗、山口秀雄、松岡操一、 |
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宮崎三雄、入交直重、堀武,白土寿一、 |
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岩垣宏、大橋二郎、大橋正輔、宮永登起雄 |
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生田信保、長谷川慶蔵、山崎謙、榊原勇吉 |
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高橋修一郎、青野房次郎、新畑小一郎、 |
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根元潤一郎、萩原雄一郎 ) |
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1947(昭和22) |
第一回歯科医師国家試験実施 4月 |
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第二回歯科医師国家試験実施 10月 |
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(試験問題漏洩事件発生) |
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1949(昭和24) |
歯科医師国家試験に関する公聴会開催 3月 |
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(日本歯科医師会) |
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1952(昭和27) |
第12回歯科医師国家試験に外国語で受験 |
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(立川米軍基地 エドワードHマーキュラー |
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ウィリウアム D ラリー ) |
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1975(昭和50) |
国家試験問題漏洩報道 (15問中7問適中) |
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1976(昭和51) |
歯科医師国家試験に客観式問題形式導入 |
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問題数増加 |
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1981(昭和56) |
「歯科医師国家試験の改善についての意見書」 |
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(医療関係者審議会歯科医師部会) |
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1982(昭和57) |
歯科医師国家試験制度改善委員会発足 |
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補綴、小児歯科関係問題漏洩報道 |
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1983(昭和58) |
実地試験 廃止、臨床実地問題導入(問題プール制) |
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試験を年1回とする |
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「国家試験問題作成の手引」 |
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「臨床実地問題作成の」手引」 |
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1985(昭和60) |
「歯科医師国家試験問題作成マニュアル」 |
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